◆情は必要だが過ぎれば仇となる◆

「情は必要だが過ぎれば仇となる」


 こういわれると確かに頷くことが多いですよね。



 結局は情といっても、自分のためや無理やりてきな事って
 多い気がします。



 金に苦労していると、金に困った人が貸してくれと
 いってくれば少しは貸してあげようかと考えてしまい
 ますね。



 
 ですが、



 考えてみてください



 お金を貸した人で、

 会社が、もの凄く建て直ったり


 個人であれば、

 その個人の生活自体が変わったという人
 に会ったことがありません。




 不思議といえば不思議ですね。



 お金を借りるときには

 「このお金があれば何とかなり、来月大口の資金が
  入ってくるので間違いなく返せる」



 確かにその意見も間違ってはいないんですが
 そもそも資金がショートする時点で、問題なのかもしれません。



 そして、そういう会社にお金を貸すと返ってはきても
 また借りるという結果になりますよね。



 また返さない会社や、個人がその後そのお金を有意義に
 使えているかと確認してみると



 ほぼ全滅ですね。




 借りたお金も返せない人に明日はないということです。
 (ギクっとしないでくださいね。)
 (私なりに考えているのはビジネスとして借りるお金は
  別だと思います)




 貸したほうからすると
 (これはあくまで個人として貸している場合ですが)



 仮に返ってこなくても、その人が再生してくれていれば
 それで喜べるということもあるんです。



 ですが、ほとんど借りたときよりも悪い状況になっていますね





 なぜだろうね。




■最終的な結果で言えば貸さないほうがその人のためには
 良かったということなんですね。




 借りたお金は回転の一部に過ぎないから
 あっちで借りてこっちで借りてそれを回転している
 借りたお金も自分のお金と同じ回転に入っている
 だけだということです。




 難しいですねー  人っていうのは
 



 
■会社での情とはどんなことがあるだろうか




 可哀想だし、ぐれても困るからということで注意しなかったり
 失敗をそのままにして


 「次に頑張ろう」


 なんて言ってませんか?



 私の会社にも


 毎日、朝から夜まで一生懸命働く店長がいました。
 ですが売り上げはいまいちです。



 店舗別に考えれば大赤字です。



 ですが、一生懸命なので好きな店長でした。
 頑張っていればいいわけではないのですが



 頑張らずに要領だけいい社員よりはかわいくなりますよね。
 ですが



 この時点でも

 
 「次に頑張ろう」を続けているのは何のためでしょうか



 自分がその社員から嫌われたくないからであり
 本当にその人のことを考えていないことが、
 ほとんどですね




 それを続けていれば、他の社員の士気も下がり
 結果、最悪の状況になってから変更したという
 経験があります。



 また会社が苦しくなり社員も少なくなってくるときに
 「これ以上辞められてはこまる」


 
 この状況でも、しっかりと注意は出来ないですよね。




 これも自分への情なのか、打算なのか?
 分かりませんが



 真の情を注げるのであれば情熱をもって注ぐ必要があり
 中途半端な偽者の情なら必要ないということですね。